番外編2 「ザイのやさぐれ恋模様」5
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 所帯が大きくなるにつれ、首長はザイを立てるようになった。周囲に年寄りだとアピールして。
 だが、ザイは知っている。首長の腕が鈍ってなどいないことを。
 首長バパの、真の姿を知っていた。裏の世界で名を馳せた"レッド・ピアス"の相貌を。
 ザイは、組織ロムが再編される際、首長に仕掛けたことがある。素性も知れぬ輩の傘下に諾々と組み込まれることを良しとしなかったのだ。
 結果は惨憺たるものだった。当時も、腕に覚えはあった。だが、今より大分若かった首長は、血気盛んな不意打ちを、くわえ煙草で容易く組み敷き、薄笑いさえ頬に浮かべた。
「まだまだ甘いな。降参しろよ、坊主」
 首長の狩りは、恐ろしいほどの速さだった。的確にして適切。気づいた時には捕らわれている。
 そこまでの相手を、ザイは知らない。他の雑魚とは格が違う。
 そして、今より大分ギラついて、今より大分気が荒く、今より大分残忍だった首長は、不敵に笑ってこう言った。
「使えねえ駒なら要らねえよ。大人しく俺に下れ。嫌なら、この場で」
 ──消えてもらう。
 当時の勘と素早い動きは、今でも決して鈍っていない。だが、首長はそれをおくびにも出さない。それがあの首長の老獪なところだ。
 すっかり丸くなった隠居のように、首長は今日もだらけて過ごす。あたかもザイに牛耳られているかのように。
 その偽装を、ザイも敢えて暴露しない。首長の魂胆は読めている。自分の部下に箔をつけ、自隊の格を押しあげようというのだろう。傍若無人に振る舞ったかつての、剣呑な噂を利用して。隊を仕切る自分の部下がそれを上まわる腕だとなれば、隊全体の評価が引きあげられる。引退間近を装うことで、多くの敵や競争相手の矛先をやり過ごそうとの意図もあろう。だが、真の目的は、情報を収集すること、、、、、、、、、だ。
 こわもての上役を前にしては、不興を買うことを誰もが恐れ、口を閉ざしてしまうのが常だ。だが、呑気な風情であったなら。
 気さくに構えるあの首長は、それで気を許した輩から、数多の情報を手に入れる。自ら動くこともなく、手元のよもやま話から、真に価値ある情報を選り分けてやるだけでいい。
 穏やかな振りはしていても、闘志もあれば野心もある。中身は当時と変わらない。多くの者を蹴落として、首長の座を分捕った黎明期のレッド・ピアスと。ただ、やり口、、、を変えただけなのだ。より楽に、効率的に隊を統治するために。そして、隙やほころびがどこかにないか、虎視眈々と狙っている。
 その首長から、指示が出ていた。
 それは、あのメガネを脅した直後、ふらりと街角に現れた首長が、去り際に残したあのあてつけ。
『 思いつめて、車道に飛び出したりしなけりゃいいがな 』
 つまりは「様子を見てこい」ということだ。
 首長がザイを動かすにあたり、多くの言葉は必要ない。一瞥をくれるだけで事足りる。あの時首長に下ったザイは、自由をさし出し、命を買った。この関係は、いわば契約のようなもの。こちらが従順でいる内は、獰猛な首長も寛容だ。
 例のメガネ──オフィーリアの姿を探して、夏日の街路を闊歩しながら、ザイは苦々しく舌打ちする。か弱そうに振る舞う奴が、信用できないのはジジイも同じだ。
 催事場のあった目抜き通りで、祭の装飾を打ち壊しているのだろう。建物の壁に囲まれた高く狭い青空に、遠い轟音が響いていた。
 昼下がりの街中は、人けなく、ひっそりとしている。人々が街に繰り出してくるのは、暑さのひいた夕方だろう。そして、メガネも見当たらない。
 建物の谷間の街路を歩き、目抜き通りへと道を折れる。やがて、男たちの声がして、足を向けた正面に、広い車道が現れた。ザイは街路の日陰から歩み出る。
 狭い視界が一気にひらけた。
 広い舗装路に反射して、寝不足の目に夏日がまぶしい。商都カレリアの目抜き通り。
 夏日にひなびた広い車道に、時おり荷馬車が行き過ぎる。時計塔のある中央広場で、タオルを首に引っかけた働き盛りの人足たちが、解体作業に精を出している。巨大な装飾を撤去して、肩に担いだ大きな瓦礫を、馬車の荷台へと積んでいく。
 さすがに日なたは、うだるような暑さだった。車道から湯気が立つような。日陰になった歩道にも、通行人の姿はまばらだ。ザイは、がらんと開けた大通りを見渡す。ここにもメガネの姿はない。
 ふわり、と何かがひるがえった。
 ふと振り向いた視界の隅、少し離れた街路樹の向こうだ。目を凝らし、ザイは即座に引き返す。見覚えのある紺のスカート。恐らくラトキエの制服だろう。そこにいるのは、もしやメガネか──
 ふい、と人影が街角に消えた。
 あれは──とザイは足を止め、思案顔で顎をなでる。刹那よぎったあの、、横顔。
「……さっきの、やかましい片割れじゃねえか」
 あの顔を見間違えようはずもない。
 昼日中の往来で、悪ふざけをしてきた双子の妹。あのリナとは異民通り付近で少し前に別れたが、未だにこんな所をうろついているところをみると、まだ副長が見つからないのか。
 この暑いさなかに、ご苦労なこった、とその根性にいささか呆れ、ザイは気慰みに足を向ける。
「ああ、どうでした、副長の方は──」
 ぷい、と制服が横を向き、スカートをひるがえして踵を返した。
 ばたばた路地を駆けて行く。
 ザイは呆気にとられて固まった。目が合ったようにも思ったが、それはこちらの思い過ごしか。いや、人通りのない一本道で、一区画先から声をかけ、まさか気づかぬはずがない。つまり、わざわざ無視してみせた、というわけだ。
「……これだよ」
 辟易として嘆息する。先の浮ついた様子から、手の平返したような冷たい態度。副長の後を追っていったが、やはり不首尾に終わったか。それとも、ラトキエの放蕩息子に邪魔されて、煮え湯でも飲まされたのか。とはいえ、今のあの態度はない。
「──これだから女ってのは」
 もっとも、女の気まぐれは、さして珍しいものでもない。ああしたことで辟易とするのは、今に始まったことでもない。
 女に関わる事柄は、まったくツイていた試しがない。幼い息子に色目を使う淫乱な母親。哀れっぽく持ちかけられて、ヤサに連れ戻れば女の刺客。数えあげれば、きりがない。
 かわいがっていた白い子犬を、母に預けて戻ってみれば、鎖につながれたまま飢死していた。あの女の刺客には、まんまと相棒を殺された。その女と所帯さえ持とうとしていたというのだから、今にしてみれば、お笑い草だ。
 気まぐれで我がまま、身勝手で強欲、他人を振り回してもケロリとしている、あれはそうした図々しい生き物だ。か弱い顔にほだされて、まともに取りあえば馬鹿をみる。ならば、関わらなければ問題ない。心乱されることもなく、進路を邪魔されることもなく、日々を平穏に営める。
 ぶらぶら街路を歩き、彼女が立ち止まっていた煉瓦の街角にさしかかる。
 ふと、ザイは顔をあげた。
 ふわり、と鼻先を掠めた匂い。煉瓦の硬い壁にはそぐわない、かすかに甘い何かの香り。決して不快な類いではない、むしろ、花のような柔らかな芳香。
「──香水、か」
 違和感の正体にようやく気づいて、ザイは街角を見返した。あの彼女の残り香らしい。だが、と怪訝に首をひねる。
「さっきは気づかなかったがな」
 路地で悪ふざけをされた時には、そんなものには気づかなかった。顔を寄せるほど間近にいたのに。
 腑に落ちなさに足を止め、彼女の背中が消え入った街角の先を眺めやる。だが、深く追求するほどの関心は、ザイは持ち合わせていなかった。
 街路を抜けて、広い車道の通りに出た。
 あれからずいぶん捜したが、やはり、メガネは見つからない。こんなくだらない雑用は、さっさと済ませてしまいたいというのに。避けている時には出くわすくせに、捜そうとすれば見つからないものだ。溜息まじりに懐を探り、日陰になった街角にもたれる。
 ぼんやり仰いだ空が青い。
 広い空。純白にかがやく入道雲。立体的に隆起する厚みのある夏の雲。快晴だ。街に降りそそぐ強い日ざし。
 指先で紫煙をくゆらせて、車道の向かいをながめやる。
 歩道の向こうは行政街区だ。高い塀が歩道に面して続いている。塀の上には、あふれんばかりの豊かな緑。塀の右手の曲がり角の先は、日陰になった静かな小道。青葉の木漏れ日きらきらゆれる、人けのない遊歩道──。
 もろくも柔らかな気配の残る、手の平をひらき、軽く握る。胸が不意に苦しくなる。
 ふと、ザイは顔をあげ、軽く首を振り、嘆息した。
「……なにしてんだかな、俺は」
 気がつけば、ここにいた。行政区画と街とを隔て、東西に走る北門通り。あの彼女を見送った場所に。
 もたれた壁から背を起こし、短くなった煙草を踏み消す。「──来たって、しょうがねえのによ」
 何も期待はしていない、そのはずだ。
 それより今は、任務を片付けるのが先だった。街に戻って、さっさとメガネを捜さねば。
 まったく身が入らない、気だるい足を踏み出した。
 北門を背にして歩き出す。進行方向、三区画先で、商都カレリアを南北に貫く目抜き通りと交わっている。
「──たりいな。たく。このくそ暑いのによ」
 夏日が車道に照りつけている。文句を言いつつぶらぶら歩き、ふと、ザイは足を止めた。
 広い車道に、ぽつんと人影。
 商都の本通りが交わる十字路、それより手前のこちら側の車線の路上に、あの制服が立っている。白襟紺服、ラトキエ領邸のメイド服。
 小柄な背、髪の輪郭──探し求めたあのメガネだった。領邸メイド、オフィーリア。領邸に戻る途中らしい。だが、一体どうしたわけか、車道で立ち止まったまま動かない。
「……何してんだ、あんな所で」
 ザイは怪訝に首をかしげた。何か物でも落としたか。それとも、目にごみでも入ったか。そういや眼鏡をかけていないが、あれはどこへやったのか。それにしても、妙な場所で止まったものだ。たまたま祭の翌日で、通行量が激減しているから、いいようなものの。
 じっとうつむくその姿は、何かをためらっているようにも見受けられた。自分がまだ歩道に、、、立っているものと勘違いしてでもいるような。
 周囲の馬車を思わず探して、ザイは視線をめぐらせる。数十人もの人足が装飾を取り壊しているからだろう。解体作業の物音が、思った以上に騒がしい。打ち壊しをする派手な轟音。誘導する声。怒鳴り声。巨大な飾りを引き倒す音──。進行方向、北門とは逆方向の、通りの東で目を止めた。
「……あれ、そろそろ出るんじゃねえか?」
 道端に、大型の荷馬車が停まっていた。なるべく一度で多くの瓦礫を運び出そうというのだろう、車高が三倍になるほどに、瓦礫が高く積まれている。
 解体作業は済んだとみえて、人足たちが解散していた。これから休憩に入るのだろう、それぞれ仲間と笑い合い、思い思いに散っていく。その内の一人が、ひげ面の中年男に声をかけ、肩を叩いて、そばを離れた。
 中年男は笑って応え、よいせ、と掛け声をかけながら、馬車の御者台に乗り込んだ。荷馬車の車輪をガラガラ鳴らして、そろそろ馬車を出しながら、しきりに荷台を振り向いている。ザイは眉をひそめた。
「──危ねえな、あれ」
 山積みにした瓦礫が気になる。縄で幾重にも縛りあげてあるが、何かの拍子に横揺れすれば、あっという間に荷崩れしそうだ。
 手前の様子を一瞥すれば、彼女は未だ突っ立って、じっと車道でうつむいている。ガタガタ瓦礫を揺らしつつ、荷馬車はこちらへ向かっている。御者は積荷に気をとられ、しきりに荷台を振り向いている。よもや道路に人がいるとは思わないのだろう、進行方向を確認しようともしない。輪郭の大きな馬車ならともかく、小柄なオフィーリアなど目にも入らぬものらしい。
 荷馬車と彼女を見比べながら、ザイは十字路に向かって足を速めた。
「たく! とっとと向こうに渡っちまえよ」
 動かない彼女に小さく毒づき、人けない歩道を苛々と急ぐ。御者が無造作に手綱をさばき、馬車は加速し、十字路に近付く。
「突っこむ気じゃねえだろうな!」
 ずぼらな御者に舌打ちし、ザイは強く地を蹴った。
 山積みにした瓦礫をゆらして、馬車がいよいよ十字路に近付く。御者は積荷を気にしている。路上の彼女まで、わずかな距離だ。荷馬車が十字路に差しかかる。
 ガラガラ車輪の轟音を立て、目抜き通りへと道を折れた。
 十字路まで駆けつけたザイは、拍子抜けして足を止め、荷馬車の左折を間近で見送る。どうやら正門に向かうらしい。
 刹那、どこかで馬が、いなないた。
 にわかにいや増す走行音。荷台を引いた車輪の音。
 ──後ろだ。
 正門行きの荷馬車が行きすぎ、不意に大きくひらけた視界に、別の荷馬車が現れた。
 北街区からの右折──
 詰めの甘さをにわかに悟り、ザイはあわてて向きなおる。
 目に、小柄な制服が飛び込んだ。先と変わらずそこにいる。御者はよそ見でもしていたか、その姿を路上に見つけて、あわてて手綱を引いている。だが、既に走りこんだ馬と車輪は、そう簡単には止まれない。
 ザイは身をひるがえした。
 車道に飛び出し、彼女の体を引っかかえる。手綱を引かれて、馬がいななく。激しく軋む横滑りした車輪──。
 轟音をあげ、車輪が鼻先を通過した。
 一瞬耳をろうした音が、ガラガラ彼方へ遠ざかる。
 とっさに飛びのいた石畳の車道に、肩から転げ込んでいた。辛くも進路をそらした御者は、それを見て安心したらしい。停車もせずに、むしろ速度を引きあげて、そそくさ北門へ去っていく。
 肩をしたたかに打ちつけて、ザイは顔をしかめて身を起こす。かかえた彼女を力任せに引っ立てた。
「ばかやろう! なにやってんだ!」
 思わず彼女を怒鳴りつけ、その異変に気がついた。
 かすれ声を引きつらせ、彼女が必死でもがいていた。無駄と知りつつ諌めてみるも、何も耳に入らない。
「──しょうがねえな」
 即断し、ザイは当て身を食らわせた。
 くたり、とオフィーリアが大人しくなる。轢かれそうになったことを遅まきながら悟ったらしいが、今、恐慌をきたされては困る。
 いかにも場所が悪かった。この道の先には、衛兵の詰める北門がある。こんな所で女がわめけば、急行すること請け合いだ。よりにもよって衛兵に、彼女を委ねるわけにはいかない。
 顔をあげ、ザイは視線をめぐらせる。
 事故の物音に驚いて、わらわら人が集まってきていた。店の扉を押し開き、怪訝にながめる店主たち。路地から顔を覗かせる数少ない通行人。いずれも、何があったか悟った途端、あわてた顔で駆けてくる。
「大丈夫か、あんた!」
「おい、馬車はどこへ行った!」
 にわかに人だかりが周囲にできた。騒然とした周囲を見渡し、ふっと脳裏を懸念が掠める。衛兵に知らせに行くのではないか──
 気遣わしげな人垣の向こうで、さっと人影がひるがえった。
 見咎め、ザイはそちらを見返す。目をやった途端に隠れたような──。
 今のはただの偶然だろうか。いや、確かに自分を見つめていた。突き刺すような視線を感じた。そう、いく度も感じた、この既視感。
「──又かよ」
 ザイは小さく舌打ちした。間違いない。何者かに尾行されている。
「なんだってんだ、ちょろちょろと!」
 苦々しい思いで、密かに毒づく。
 初めはオフィーリアかと思っていた。だが、当人はここで伸びている。ならばジョエルか、とも思ったが、その矢先「班長!」と人垣の向こうから、当のジョエルが駆けてきた。
 ならば一体、誰だというのだ。あのつたない身の処し方は、首長でもなければ、ウォードでもない。むろん特務の誰かでもない。靴先の一点を見つめて、ザイはわずか眉をひそめる。
 周囲があわただしくなっていた。人垣を掻き分けるジョエルの顔。逃げた馬車への非を鳴らす者。領邸へ知らせに走る者。口々に事情を言い交わす人々──。
 とりかこむ人垣のざわめきの中、足を投げた石畳に、ふっとあの、、顔が思い浮かんで、ザイは苦笑いして首を振った。そんなことが、あるわけない。
 
 

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